家でくつろげない、職場で息ができない――忘れられた『サードプレイス:公共の居場所』の価値
はじめに:マジでヤバい現代人の居場所問題
今の日本人ってさ、家でも職場でもリラックスできてないんだよね。これ、めちゃくちゃヤバくない?
職場っていう名の監獄
まず職場な。デジタル化のおかげで、もう常時監視の状態だよ。メールの返信が遅いとか、チャットの反応が悪いとか、オンラインステータスがどうとか。インターネットって、本来は自由なコミュニケーションのためのはずだったのに、今や社畜を監視する道具になっちゃってるわけ。
スマホのせいで、仕事は職場に置いてこれない。家に帰ってもメールは来るし、メッセージは飛んでくる。「オフの時間」なんて、もはや幻想だよね。
家という名の労働収容所
で、家に帰ってきても地獄は続くわけ。
- 食器洗って、また新しい食器が積まれる
- 洗濯物畳んで、また新しい洗濯物が発生する
- 掃除して、またすぐ埃が積もる
これ、永遠に終わらないループなんだよ。しかも、これって単なる作業じゃない。常に「やらなきゃ」っていうプレッシャーが頭にのしかかってくる。本来くつろげるはずの家が、終わりなき労働の場になってる。
育児がある人は更にキツい。幼稚園や小学校低学年の親なんて、朝から「15~20分間、教室で子どもに付き添え」とか言われんの。それも「親同士の交流の時間」みたいな建前で。いやいや、それ自体が労働だろ!
歴史が教えてくれる衝撃の事実
でもさ、めちゃくちゃ面白いことに、昔の人って全然違う発想だったんだよ。
教会やモスクがあったじゃん?これがね、実は家や仕事場よりもめちゃくちゃ大事な場所だったの。今の人からしたら信じられないかもしれないけど、マジで。
当時のパブリックスペースってこんな感じ:
- ✔️ 家の改装とか修理より、教会やモスクの建設に金かけてた
- ✔️ 重要な決定は全部ここでやってた
- ✔️ 一日の大半をここで過ごしてた
教会やモスクって、ただの礼拝の場所じゃなかったんだよ。
- 学校として機能してた
- 困ってる人の支援もしてた
- 音楽とか芸術の発信基地
- 政治的な議論の場所
- みんなの集会所
今の日本人って実はめっちゃ特殊
今の日本人って「職場と家庭」しか大切に思ってないでしょ?カフェとか、居酒屋とか、本屋さんとか、「寄り道」みたいに考えてる。でもこれ、実は世界的に見るとめっちゃ特殊なの。
フランスなんて、カフェは単なる飲食店じゃなくて、知的交流とか社交の場なわけ。イタリアだって広場文化があるし、北欧の図書館なんて「人々のための宮殿」って呼ばれてるんだよ。
なんで今、サードプレイスが必要なの?
今の人って、こんな重圧に囲まれてるわけ:
- 職場での監視と評価
- 仕事と生活の境界線が消滅
- 終わらない家事
- 育児や介護
- SNSの人間関係の管理
だからこそ、図書館とかコミュニティセンターみたいな場所が超重要なんだ。
なんでかって?
- - ここでは誰も評価しないから。図書館なんて「あんた、すでに素晴らしい人間だよ」って前提で接してくれる
- - バラバラになった社会をつなぎ直せる
- - 特に子どもとか高齢者とか、移動が限られてる人には命綱になる
結論:サードプレイスを取り戻せ!
人類の歴史を見ると、社会が進歩するのって、分断を取り払って、もっとデカい道徳的なコミュニティをつくれたときなんだよね。
今の日本人は「職場か家か」みたいな二元論に縛られすぎ。サードプレイスを「寄り道」なんて言って軽視してるけど、それこそが実は社会のインフラとして超重要なんだ。もう一回、この価値を見直す時期に来てると思うんだよね。
これって単なる「息抜きの場所」の話じゃない。社会の根幹に関わる問題なんだ。